VIRGIN BMW | 第12回 BMW考察 1 365日BMW Motorrad.宣言

第12回 BMW考察 1

  • 掲載日/2007年06月25日【365日BMW Motorrad.宣言】
  • コラムニスト/K&H 上山 力

365日BMW Motorrad.宣言の画像

走るほどに疑問が増える
どう走らせればいいのだろう?

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R1200RT用シートの製作のお話は前回で無事終了し、3種類のR1200RT用シートが完成しました。しかし、その後もソロやタンデムで仕事と偽りながらも(笑)距離を走り、自分なりにR1200RTの理解を深めていっています。そんなように実走テストをしている最中にも、さまざまな疑問が浮かんできました。疑問に対して「こういうことなのではないのだろうか?」と仮説を立て、テストをしながら自分なりの答えを見い出せてくると、答え合わせのためさまざまなメディアの記事に回答を探します。ところが求めていることへの答えがないのです。幸い私の周りには、オートバイ業界に長く携ってきた大先輩方がたくさんおられます。

方々で「ここはコレコレこうなので、こういう設計になってるのでは? その設計を生かすためには、ここに乗車し、こう動かす必要があるのではないか?」と質問を投げかけてみました。大先輩方から「恐らくこうだろう」と教わり、さらに助言もいただきました。何度も確認して走らせ、私なりにBMWの成り立ちが、おぼろげながら見えはじめてきた気がします。これからお話するのは、偏屈に満ちた若輩者である私自身が、BMWとの付き合いから得た雑感です。必ずしも確かなではないことをお見知りおき願います。

BMWはなぜ今の姿になったのか
設計段階から考えてみませんか?

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BMW製オートバイの新型車が発表されると、その最新装備などが注目を集め、すぐにメディアで紹介されます。そして、BMW特有の装備に対して解説がされますが、最終的には「乗りやすさや扱いやすさ、安全性、長距離が楽」ということで集約されてしまうことがほとんどのようです。もちろん、前述のことはユーザーにとってメリットであり、歓迎されるべきものです。ですが、良くも悪くも提灯記事のように感じることもあり、やんわりと誤魔化されているような釈然としない気になります。それに、なんと勿体無いことかとも思います。私がR1200RTに接してみて感じたのは、幅広い層の乗り手が扱え、乗り込んでいくと奥が深く、楽しさを感じながら乗り手を育てていくオートバイだということです。メーカーの意思や設計思想が製品に反映されえているのがよく分かります。それが今も昔もユーザーから支持されている理由なのでしょう。

ただ「時にはもう少し突っ込んだ部分の話がなされても良いのではないか?」と、そう思うことがあります。それはオートバイ設計の話になるのかもしれません。設計と言うと難しい話に思えますが、理解し実際に使いこなすことができるようになれば、ユーザーの楽しむ幅が広がるように思うのです。最初は理解に苦しんだり、理解できても使いこなせないかもしれません。しかし、乗り手が育つうちに設計意図を理解し、少しずつオートバイとの距離を縮め長く付き合うことができるはずです。なぜならBMWの設計は素晴らしく、乗り手を育てるオートバイであるからであり、初心者から上級者までを楽しませてくれる稀にみるオートバイだからです。しかし、残念ながらそれらの装備やメカニズムの使い方や楽しみ方について、メディアにはメーカーのカタログスペックのような記述しかないのです。何か触れてはいけない禁句のように扱われている部分もあります。もう少しオープンに扱われても良いのではないでしょうか? BMW製のオートバイは、決して完璧な乗り物ではありません。具合が悪ければ乗り手が補えば良いのです。差し引いても余りある魅力がBMWにはあるのですから。

知れば知るほど奥が深い
BMWの開発思想は半端じゃない

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機械的に優れた部分だけではユーザーを魅了できないのが、趣味の乗り物と言われるオートバイの所以でしょうか。現在、人気のあるハーレーダビッドソンにも同じようなことが言えますが、時には他よりも特出している部分も必要です。BMWの代名詞とも言える、合理的であり不合理(?)な縦置きクランクのエンジンもそうでしょう。なかでも水平対抗エンジンは歴史もあり、ユーザーに長く愛され続けています。人の心を掴む物を作るには強い信念が必要です。そこに迷いがないわけではなく、悩み苦しみながらも信念を貫き製品が生まれると、それは人を惹きつけてやまない物になるのではないでしょうか。そこにメーカーとしての「ずるさ」が加わると、また一味違った側面が垣間見ることが出来、考察するにも面白味が増します。これらのことが今のBMWを形作っていると感じるのは、私が変わり者だからでしょうか?

「扱いやすいオートバイ」。BMWはある意味扱いやすく乗りやすいオートバイです。しかし、何故ここVirgin BMWや他のウェブサイトの掲示板などで「BMWの走らせ方」について個人間で問答があるのでしょうか? その方たちがBMWと付き合った期間が浅いからだけでしょうか? 程度の違いこそあれ、皆「上手に走らせたい、乗りこなしたい」と思っているはずです。その質問の多くは、曲がり方から下りの走らせ方、雨天走行など、その他にもさまざまな質問があります。BMWが装備させた最新の技術や走らせ方のHOW TOが、各メディアに溢れるほどあるのに何故これほど問答が飛び交うのでしょう?

それらは実は、私が悩んでいたことと同じことなのです。
「何故パラレバーなのか?」
「何故テレレバー・デュオレバーを選択したのか?」
「BMWは何を模索しているのか?」

コマーシャル的な説明はどこにでも落ちていました。
「じゃーその最新装備をどう使えば具合が良いのか?」
「どう走らせれば楽しいのだろうか?」

もちろん、知識の詰め込みだけでは解決しませんから、実際に走らせ試すしかありません。ところがオートバイの成り立ちや設計意図が分からないと、あるところで行き詰まってしまいます。運動神経だけで走らせていた私もそうなりました。良く耳にするのが「タイヤの接地感がない」や「どこまで倒してよいか分からない」。最終的には「怖い」など。…ん? BMWは安全で扱いやすいオートバイではなかったのでしょうか? 時にはそこから、リプレイスメントのサスペンションへの換装話が派生します。純正品の上を行く物もリプレイスメント市場には存在するでしょう。しかし、BMWというメーカーが用意する車両には、さまざまなシュチュエーションで走らせることを想定して、必要充分以上の装備が成されています。乗り始めた頃は気が付かなかったのですが、リアサスペンション1つをとっても「このオートバイはこんな状況まで想定してあったのか!」と驚く程の広い守備範囲を網羅していました。万人向けしなくてはいけない物に対して、ここまでの物を作ったというのには素直に感心しました。車両に手を加えれば確かに変化は感じ取れるでしょうし、必要な人には必要なのでしょう。ですが、それらはほとんどの場合オートバイ側の問題ではなく、人側の都合なのではないかと思います。

「人が考え、人が走らせる」
それに答えるのが物であり、オートバイなのだと思います。BMWには、それに答えるだけの懐の深さがあり、そこから更なる高みも覗かせてくれます。それには、乗り手がオートバイの素性や成り立ちを理解しようとする必要があります。そうすることによって乗り手と乗り物の均整が取れ、良い関係が生まれるのではないでしょうか? 人が歩み寄る努力をすれば、人に合わせてBMWは答えてくれるのです。人車一体なんていう言葉はこんなところから来ているのかもしれませんね。

雑感といいながらもあまりに徒然なるままになってしまいました。今回の話は何のことだったのか? 次回は、拙い私がR1200RTと対峙して、体感し考察してきたことをお話しましょう。

プロフィール
上山 力

32歳。東京都練馬区のシートの名店「K&H」に勤務。シートの開発を主に担当。自らが長い距離を走り抜き、シートを開発するため、彼の年間走行距離は尋常でないものに。

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