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東西ドイツの分断が
EMWは戦前のBMWの技術をもとに東ドイツでの自動車・モーターサイクルの生産に携わる企業として重要な役割を占めるようになります。また、この工場からBMWの技術は東ドイツだけでなく、ソ連(現ロシア)に移転され、戦前のBMWのコピー製品が生産されはじめるのです。現在「ウラル」という名称で販売されているモーターサイクルは、戦時中やアイゼナハ工場からロシアに持ち帰られたBMWをもとに生産されています。戦争という不幸な事件をきっかけに、BMWが持つ技術は東西に分断されてしまいましたが、西ドイツ側に残されたBMWは苦難の時期を乗り越え、復興へと進みはじめようとしていました。 戦後の傷跡からの復興
戦前、レースの世界で名を上げたBMWですが、戦後もレースシーンでは活躍します。戦後の西ドイツではレースが盛んに行われており、戦前にも活躍した名ライダー“ゲオルグ・マイヤー”がスーパーチャージャー付きのモデルで国内レースを席巻。他のライダーの活躍にも助けられ、BMWの名は改めて世に知らしめられることとなるのです。ただ、戦後しばらくの間、BMWは国際レースへの参加を制限されており、その活躍が西ドイツ国内に留められていたのは残念なことです。西ドイツが国際レースへの復帰を認められたときには、BMWの“十八番”の技術であったスーパーチャージャーの使用がルールで禁止されていました。そのため、BMWの活躍の場は、大きく制限されてしまうこととなりました。しかし、BMWはサイドカーレースや世界最高速度などにチャレンジし、その技術力を世界へと知らしめるのです。 新世代モデルの登場と
自動車部門の復興がスタートしたのとほぼ同時期、1951年にはモーターサイクル部門でも1つの大きな事件が起こりました。戦前の改良モデルの生産に留まっていたBMWが新世代のモデルを発表したのです。「R51/3」、「R67」と命名されたこの2モデルは、伝統ある水平対向エンジンという基本軸は踏襲されていたものの、車輌内部の機構や発電システム、点火システムなどに新しい方式が採用され、発表後も年々改良が進み常に進化を続けていきます。1950年代に入ってからのBMWの歴史を見ていると、戦争の傷跡からBMWがついに復興し、前に向かって進みはじめたことが感じられます。ただ、一見、順風満帆に見えるBMWモーターサイクルですが、世界的な自動車需要の増大の流れはこの時期からはじまっており、モーターサイクルがBMWの主要部門でなくなる時代は、すぐそこまで迫っていたのでした。 |